カタルタをはじめとしたナゼカの思考遊具は、「言語化に楽しさと実りをもたらす」ことを掲げてきた。
何をするにしても楽しいに越したことはないけれど、一方でこの楽しさというやつは、一過性、一回性に回収されがちなところもあるように思う。それはそれで貴重だし、そのあたりも含めた価値が「楽しさ」にはあるのだろう。
しかし前提を疑う思考が抜けていたのかもしれない、とも思う。そこで考えた。というより、ゆっくり少しずつ考えてきたことなのだけど、これからは「うれしさ」にフォーカスしてみようと思う。
うれしさは、例えば、じわじわ系のうれしさだとか込み上げ系のうれしさだとか、喜びの質としてノリに流されないところがいい。
それから、うれしさは思ったよりも長引くことがあったり、遠い過去のうれしさが再現したりということもある。解釈を見つけることで、そもそも別の感情だったものが、ある日うれしさに転じたりもする。そして、誰かを思ってうれしくなったりもする。こうした特徴は、日常的な実践と相性がいい気がするのだ。
そういうわけで今日から、ナゼカの思考遊具は「うれしくなる言語化」をサポートするものとします。